2016年12月18日日曜日

携帯電話ショップは誰がやっている? オーナはこんなところからスタート

25年程前、世の中に自動車電話というのが普及しはじめました。
今の携帯やスマホの元祖です。

当時、電話と言えば家や会社にあるもの。
車で移動中に会話ができる自動車電話は画期的でした。

当時、保証金(NTTに預けるお金で、解約すると戻ってくる)20万円
月額通話料3万円。通話料6秒10円。
バブルで金回りのいいときではありましたが、
使える人は限られていました。
車はたいていクラウン(当時セルシオはなかった)
体格のよくて、短めな髪型の人がほとんどでした。

自動車電話ということで、
当社のような自動車電装店が取付や販売窓口になっていました。

当時はIDO(今のau)か、NTT(しばらくしてドコモに変わる)の2社
どちらかを選んで、販売店になっていました。

うちの会社はIDOをメインに、
NTTも併売するというスタンスでした。

自動車電話から携帯への移り変わりはあっという間で、
3年ほどで、携帯電話に需要がシフト。
売れ筋はすべて携帯になります。

まだ、街には携帯電話ショップもなければ、家電量販店でも売っていません。
需要に対して供給が全く足りない状況。
そうすると、どうなるかというと、
自動車電装店の店先で片手間に売っても、人が押し寄せてきます。
当時、携帯会社から1台に付き3万円ほどのリベートがありました。

もちろん、全国的にも自動車電装店が携帯電話の販売に乗り出しました。
店頭の片手間でやっていたのを、専門店を作り、
ドコモショップ、auショップ、J-phoneショップを運営するようになりました。

デンソーや日立などの自動車電装品の卸売りを行う会社が
ドコモなどの代理店となり、
ショップを運営する電装店に販売や業務を委託するという流通経路。

そのうちに、地域で何店もショップを運営する電装店も出てきました。
県内のショップのほとんどが、
同じ会社が運営という地域も出てきました。

ただ、選んだブランドで、その後の運命が変わります。
ドコモを取った会社は、その後も順調に規模を拡大していきます。
今では、本業の自動車電装店よりも、
携帯電話の販売が主になった会社もあります。

IDOを選んだ会社は
auにブランド変更後、販売店の統合が行われ、
他の販売店に統合されたところもありました。

代理店も
商社系やメーカ系、独立系などで統廃合が進み、
現在は10社程度にしぼられています。

携帯電話販売は、本体の販売よりも
携帯電話会社からのリベートが主な収益源。
リベートを得るためには、お店のお客さんを
増やすことが必要です。
だから、いつも、0円販売をしたくなります。

恵那バッテリーは残念ながら、
この流れに乗ることができず、携帯電話販売はやめちゃいました。

0 件のコメント:

コメントを投稿