2016年12月29日木曜日

仕事の断り方 恵那通信No18より

◆今は大盛りはやっていません◆
市内に、人気の中華料理屋さんがあります。
このお店の人気メニューは塩焼きそば。狭い店内、昼時はほとんどの人が塩焼きそばを食べています。人気の秘密は自家製麺と食べ飽きない味、そして量。
普通サイズでも、お皿からあふれるほど盛られてきますが、大盛りはその倍ぐらいの高さに。
そんな量でも、値段はちょっとアップするだけなので、店に来る男性の半分ぐらいは、「焼きそば。大盛りで」と注文します。
この人気の焼きそば大盛り、年末年始やお盆休みの頃になると、入り口に「大盛りはやっていません」という張り紙が貼ってあります。注文しても、店員さんは「今はやっていません」と言うだけ。
そう言われると、お客さんは「じゃあ、普通で」と注文を変更します。
普通盛りは変わりなく提供しているのに、大盛りはできないと一方的に言われて、怒ったり、食い下がったりする人はいません。当たり前の様に従います。
大盛りを出さない理由について説明はありませんが、お客さんは焼きそばを食べるために、お店に協力しています。
◆断る会社◆
先日、NHKで今、話題になっている長時間労働について取り上げた番組をやっていました。
あるIT企業では、取引先の依頼に、どこよりもスピーディーに対応しないと生き残っていけない、と話していました。その結果、毎月の残業時間は40時間です。
同じ番組で、建設現場の資材レンタルの会社も紹介していました。
この会社は、残業時間を減らすための工夫として、“仕事を断る”ことを取り入れていました。
予定直前の変更依頼や無理な要望については、やんわりと、でもはっきり「それはできません」と女性社員が対応していました。この会社では残業をほぼゼロにした、と紹介されていました。
“仕事を断ったら、お客さんがいなくなるのでは?”と普通は考えますが、そこは、取引先をたくさん増やすことで解消している、とのことでした。
あーー、なるほど。それなら、なんとかなりそうです。
もちろん、業種によってできるできないはありますが、参考にできるところは自社に取り入れていって、少しでも残業を減らすことができれば、働く人の負担も減らすことができますし、会社の経費も減らせます。
でも、“飲み会も断れないのに、お客さんの依頼を断るなんてできない”、
“断るぐらいだったら、自分が無理して対応すればいい”。と考える人も多いのではないでしょうか。
そこで、当社でうまくいった、断らなくてもいい、断り方を紹介します。
◆たった、これだけのこと◆
当社ではお客さんから依頼を受けるとき、条件を書いた書式をお渡ししています。そこには、
1台の作業時間は1時間半です
・作業開始時間は9:3016:00です
・日曜祝日は対応できません
と書いてあります。その理由は
・会社の始業時間は9時。出張する場合、30分程度の移動時間があるので作業開始時間は9:30
・会社の終業時間の17:30までに作業完了するために、最終の作業開始時間は16
・日曜祝日は弊社の休業日。
という意味です。
こう書いておくと、ほとんどのお客さんがこの条件に沿って、日程調整をしてくれます。
たまに「この16時って、どういう意味ですか?」と聞かれることもありますが、「当社ではこの様になっています」と書式を見ながら説明すると、納得していただけます。
この書類を作ったことで、ずいぶん仕事のやりくりが楽になりました。
何よりも、“残業前提の仕事”がなくなったことは大きいです。
この書式は、メールで送ったり、自社のホームページからダウンロードできるようになっていて、
今では、こちらから何も案内しなくても、勝手にFAXで送られてくるようになりました。
たった、これだけのことで仕事が楽になります。
残業が減らなくてお困りの方、ご相談ください
山口が一緒に減らし方を考えます

2016年12月27日火曜日

男気あふれる社長

自動車の修理、整備という仕事柄、たくさんの運送業の方と取引があります。

一般的に知られている運送業者さんというと、ヤマト運輸とか佐川急便。
こちらは、宅配業者さんで一般の家庭や会社に荷物を持ってきてくれます。
送り状を書けば、基本的にはどこでもOK。
タイムサービスとか、クール便とか付加サービスも用意されています。

他には西濃運輸とか、日通とか福山通運などなどあります。
ヤマト運輸や佐川急便は決まった形の箱や大きさのものしか運んでもらえませんが、
他の業者さんは結構融通が利くらしく、
長いパイプとか、重いバッテリーとか、ちょっと変わったものを送るときに重宝します。
(もちろん限度はありますが)

運送業者で多いのは、
メーカなどの子会社で、親会社の物流業務全般を請け負う会社。
倉庫の管理、商品のピッキング、商品の輸送などを行っています。

例えば、***ロジスティクスという名前の会社が多く
***には親会社の名前が入ります。

カタカナ表記が、「ロジスティクス」と「ロジスティックス」の両パターンがあり、
間違えやすいのが困ります。

親会社と同じ管理体制、特にコンプライアンスや個人情報保護等が求められるため、
コストの負担は大きいようです。
反面、扱う商品が大きく変わることはないので、
倉庫やトラックなどの資材は、同じものを揃えておけば対応できるので、
ここはコストメリットが出ます。

一番多いのは、独立した運送会社。
特定の会社の荷物だけでなく、数社の荷物を運んでいます。
会社によっては、倉庫業も請け負っています。

お客さんや荷物の量、種類が変わるので、
トラックは種類がバラバラ。
小型トラックから、大型車。
冷凍車まで用意している会社もあります。

中古のトラックが売れる理由がよくわかります。

また、個性的な社長にもよく会いました。
社長は男気にあふれていながらも、
儲けどころを探しています。

ある社長は、荷物を持っていった先で
そこの社員と話こんでしまいました

そこで作っているのは、パイプを曲げる大きな機械。
長さも5m近くあり、何トンも重さがあります。

とても、普通のトラックでは運べません。
だから、運ぶのにはいつも困っていたそうです。

そこで、この社長、決断しました。
「オレが、全部で運ぶ」

社員さんには、「ちょっと待ってろよ」と言い残し、
取引のあるトラックディーラーに寄って、
その機械を載せることができる、
トラックを発注してきました。
この時点ではまだ、仕事は決まっていません。

納車後、無事契約ができ、
いまでは、その会社の運送を独占的に取り扱っています。

この社長、賭に勝ちました。


2016年12月25日日曜日

使い終わったパソコンの処理が専門。

前々回、事務所の机や椅子を中古で販売している会社を紹介しました。

今回は、机の上にあるパソコンです。

オフィスで使うパソコンの回収を行う会社を紹介します。

オフィスのパソコンは、古くなってきたり、OSが更新されたり、
などの理由で定期的に入れ替えされます。

大きい会社では、一度に何百台も入れ替えが行われます。

当然、入れ替えるときには古いパソコンの処理が必要。
パソコンという性質上、産業廃棄物として捨てることもできません。
きちんと、データ消去まで行うところに依頼しないととんでもないことになってしまいます。

こちらでは、データの消去も含め、
パソコンの回収をすべて行っています。
パソコン本体だけでなく、モニタやキーボードなどの周辺機器も含めてです。

顧客は大手企業やリース会社、システム会社など。
パソコンの入れ替え案件の情報ソースを抑えています。

回収したパソコンはデータを消去後、中古パソコンとして販売されます。
(古いのは売れないかもしれません)

産業廃棄物として出すのであれば、
データ消去は専門業者に依頼をし、
お金を払って、排気を依頼することになります。

こちらではデータ消去を行ってくれる上に
買い取ってくれるので、
コストと手間を削減できます。

そんなメリットがあるので、
需要は非常に多くあります。

この会社では、パソコンの回収にトラックを使います。
顧客のところで、パソコンを積み、
自社の拠点まで運び、
そこで、データの消去を行います。

この配送の途中、パソコンが盗まれたり、
あるいはデータを吸い上げられたりする心配もあります。

ドライバーと第三者が結託することだってあります。
データが流出した場合のダメージは、今や会社を吹っ飛ばすほどの力があります。

それを防止するために、どうしたらいいだろう?
と相談を受け、当社で荷台を監視する装置を車に設置しました。
事故の話は聞いていないので、うまく使えていると思います。


パソコンの処理は、とても便利。
1台でも無料で引き取ってくれます。

会社のパソコンの処理方法は悩むところ。
年末年始のこの時期、パソコンを処分したい方は、
検討してみて下さい。

具体的な会社名はフェイスブックのメッセージでお問い合わせ下さい。

2016年12月24日土曜日

効率のいいドライバーと、他のドライバーの違いを調べてみました。

今回は、プロパンガスのボンベの配送、交換を専門に行う会社を紹介します。

コンロやお風呂を沸かすときに使うガス。

ガスには都市ガスとプロパンガスがあります。

都市ガスは、家やお店に配管でつながっていて、
電気や水道と同じように、ひねれば出てきます。

プロパンガスはボンベに入っています。
定期的にガス会社の方が来て、
空になったボンベを交換していきます。

都市ガスとプロパンガスの普及率は、
53%と44%。(2013年資源エネルギー庁調査)
普及率は都市ガスの方が高くなっています。

都市ガスは文字通り、都市部中心
プロパンガスは地方での利用が主です。

プロパンガスの販売は、地域の販売店が行っています。
販売店は元々油屋さんとか庄屋さんとか、
地域の有力商家だったところが多く、
時代に合わせて、プロパンガスの販売や、ガソリンスタンドを経営するようになりました。

ガスや石油の元売り会社も、信用力があるところでなければ、
取引しなかったそうです。

プロパンガスの販売店は
地域に家庭や飲食店などの顧客を何件も持っています。
顧客はガスの利用量に応じて、料金を払います。

顧客が存在すれば、お金が入ってくるストックビジネスです。

しかし、プロパンガスの販売店も経営者の高齢化や後継者不在という問題が出てきました。
プロパンガスのボンベは重く、高齢では配達や交換が難しくなります。
子供たちが後を継いでくれないお店も増えてきました。

そこで、M&Aによる、事業譲渡が増えてきました。
顧客1件いくら、という形で資産査定が行われ、
大手に事業移転が行われます。

吸収される販売店にとっては、事業売却で現金を得られます。
また、従業員もそのまま引き継がれます。
吸収する側も、規模が拡大でき、コスト削減が可能になります。
顧客も、ガスの供給不安がなくなります。
理想的なM&Aです。

地域でこじんまりと商売をやっていたときは、
販売も配送も、販売店さんが自前でやっていました。
販売量をたくさん増やせない理由として、自前での配送に限界があったからです。

しかし、吸収した大手の販売店は、配送専用の会社を持っています。
ここには、最新の配送車両も体力のある若手社員もいます。
その結果、販売量も増やすことができるようになりました。

この、配送専用の会社さんとは10年ほど前から取引関係です。
最初、事業内容を聞いたときは、いまいち理解できなかったのですが、
次々と、配送拠点が増え、配送エリアが広がっていくのを
目の当たりにすると、理解できるようになりました。

この会社が配送件数は10数万件。
ガスという商品の特性上、夏は暇で、冬は忙しいそうです。
ドライバーさんが足りなくて、東北から出稼ぎに来ていただいたこともあるそうです。

ドライバーさんの仕事は、ガスボンベの交換と、残量の確認。
毎日、担当エリアのガスの利用予測が出力され、
それを参考にしながら、巡回ルートを考えます。

ベテランドライバーになると、自分の予測と、ほとんど差が出なくなるそう。

1日に回る件数は50~70件。
道路が渋滞する通勤時間帯を避け、6時ぐらいに出発するドライバーもいます。

回る順番を考えるのは各ドライバーですが、
たくさん回れるドライバーと、他のドライバーは何が違うのか調べてみたことがあります。

GPS装置を付けて、走行ルートを調べたところ、
たくさん回るドライバーは、きれいな左回りのルートでした。
左折なら、交差点を曲がるのに時間がかかりません。

運転技術も高く、急ブレーキや急加速もほとんどない、
理想的な運転でした。

こういう人ばかりだと、
世の中が優しくなれる気がします。


2016年12月22日木曜日

フットワークの軽い女性が現場を仕切る。中古家具屋さん

田舎にいると、あまりピンと来ませんが、
都心のビルに入居するオフィスは
人員が増えたり、業務が変わったりで、家賃が上がったり
いろいろな理由で引っ越しすることがよくあります。

私が勤めていた会社も、
名古屋では引っ越ししました。
築年数の古い自社ビルから、フロアの広いビルに移動したときは
うれしかった覚えがあります。

引っ越しの時、今まで使っていたオフィス家具は
ほとんどの場合、捨てちゃいます。

移動するのが大変とか、
新しいオフィスのレイアウトにあわないとか
いろいろな理由はありますが、
とにかく、持って引っ越すことはあまりありません。

古いオフィス家具は、そのまま、産業廃棄物ですが、
傷も少ない、新しいオフィス家具なら、
中古として価値が付きます。
(中古として下取りしてもらっているかもしれません)

IT系企業などは、引っ越しを繰り返すので、
比較的新しい状態でオフィス家具が放出されます。
これを買い取って、中古家具として売っているお店が長野県にあります。

ここで、質問です。
いま、あなたが使っている机と椅子、足元にあるワゴン(引き出しの付いた台)
合計でいくらぐらいすると思います?

答え:標準価格で30万円ぐらいします。
もちろん、たくさん買えば値引きも大きいようですが、
オカムラ製などは品質がよくて、人気があるので高いです。

10人分の机と椅子をそろえて、
書類を収納するキャビネットをそろえて、
ホワイトボードを買って、会議室の机と椅子を用意して、
なんてやっていると、小さな会社でもかなりの出費になってしまいます。

そこで、少しでも出費を抑えたいときに、
中古家具を検討することになります。
私の会社も、引っ越しするときに家具の買い換えが必要になり、
こちらの中古家具屋さんにお世話になりました。

この中古家具屋さんはホームページで見つけました。
探しやすいホームページにはたくさんの種類の机や椅子が掲載されています。
値段も新品価格の20%ぐらい。

また、同じ種類の机や椅子をたくさん在庫しています。
中古の家具を買えない理由に、”同じものをいくつもそろえられない”
というのがあります。
事務所にいろいろな形やサイズの机が並んでいたら、
レイアウトの効率も悪くなるし、
見た目、貧乏くさく見えてしまいます。
中古でも、同じ机と椅子で揃えられれば、オフィスは効率も見栄えがよくなります。

ということで、ちょっと興味があり、
ホームページ上でも買うことはできますが、
現地までいってきました。

そこは、以前どこかの会社の倉庫だったと思われる場所。
広い構内は大きな家具をたくさんストックするのに、
ピッタリな場所です。
(以前は別の場所にあったそうです)

対応してくれたのは、デニムとフリース姿の
フットワークの軽い女性。
現場を仕切ながら、いろいろな説明をしてくれました。

その間にも、どんどんトラックで家具が運び込まれてきます。
4月近くになると、オフィスの引っ越しも多くなるので、
買取もずいぶん増えるようです。

選んだものは、構内にある作業スペースでクリーニングや簡単な修理を行い、
ラップにぐるぐるに巻かれて送られてきます。

汚れや傷は多少ありますが、
使っていけば、気にならなくなるもの。
会社の机は、ほとんど中古品で統一しました。
もちろん、社長の机も椅子です。

この中古家具屋さん、需要は多いようで、
作業スペースには、作業指示書がたくさん貼られていました。

作業指示書のお客様名には、
会社名、個人名とともに、
公共施設や、地方自体っぽい名称もありました。

予算が厳しい昨今、お役所でも
なんでも、新しくできるわけではないようです。

繰り返し、買う人もお客さんも多いと言っていました。

安さの魅力は、代えがたいものがあります。

基本的にホームページで集客をしていて、
中古家具で検索すると、広告として表示されます。

お客さんは全国各地にあり、商品はトラックで運んでいます。

中古業界は仕入が”キモ”ですが、
ここの社長さん?は、オフィスの引っ越し事情に詳しい業界と組んでいるようで、
いつも、東京に買い付けに行っているそうです。

仕入さえできれば、いくらでも売れる
という感じでしょうか?

ちなみに、キャビネットは新品で買いました。
壁の大きさと用途に合うものを中古で探すのは難しかったからです。
でも、使い終わった後に売れるかもしれません。

2016年12月21日水曜日

週末田舎暮らしのつもりが、いつの間にか憩いの場に

私が住んでいる恵那市に
農家の納屋を改造した、喫茶店があります。

広さは20坪ほど。
カウンターとテーブルがあり、いすが置いてあります。

周囲は田んぼと山。
比較的広い道路には面していますが、そんなに多く車が通るわけではありません。

まさに隠れ家的なカフェ。
古い建物はしゃれているわけではありませんが、
店内に流れるジャズ(ラジカセでならしている)の雰囲気がよく、
落ち着きます。

エアコンはありませんが、夏は涼しく
冬は薪ストーブが暖めてくれます。

この喫茶店は、おじさんとおばさんがオーナ。
おいしいコーヒーを提供してくれます。

それもそのはず、おじさんとおばさんは、
普段は名古屋市内でコーヒー豆店を営んでいます。
いろいろなところから、コーヒー豆を仕入れて、
地域で販売しています。
おいしいコーヒーの入れ方講座もやっています。

そもそも、このおじさんとおばさん、以前は恵那市とは縁もゆかりもありませんでした。

10年ほど前、週末田舎暮らしにあこがれ、
恵那市を訪れて、物件を探していたところ、
農家の方が、「納屋でよければ使っていいよ」
と言われたことをきっかけに、恵那市に来るようになりました。

その後、「普段は何やっているの?」という話から、
「この近所には喫茶店がないから、やってほしい」と頼まれ、
喫茶店を営業することになりました。
(このおじさん、喫茶店はやったことがありません)

ということで、毎週日曜日になると、その喫茶店は営業しています。
もちろん、豆を買うこともできます。
(我が家は、ここで豆を買っています)

季節の野菜を煮込んだカレーも数量限定で提供。
これが、おいしい。

人が少ないところですが、お客さんは多く、
近所のおばあちゃんが歩いてやってきます。
地域の寄り合い場所になったり、夏祭りで野菜を売ったりもします。

駐車場には、地元以外のナンバーの車も止まっていて
自転車やバイク乗りの人も休憩によっていきます。

おじさんとおばさんの悩みは、
週末田舎暮らしがゆっくりとできないことだそうです。

気持ちは分かりますが、みんなのために、
長く続けてほしいと思っています。


2016年12月20日火曜日

チラシで毎月150台の車を売るお店

ある地方都市で、自動車の販売、整備を行っている会社があります。
この会社の若い社長とは、会合で一緒になり、お話をするようになりました。
この会社、とにかくすごい台数を売っているとのこと。
どんな方法でやっているのか、お話を聞いてきました。

この会社は地域に3店舗。
中核となる店舗には広い展示場に軽自動車がずらりと並び、
奥には整備工場があります。
お客さんを接客するスペースには、車のカタログや雑誌が並び、
その合間に自動車メーカ別にチラシが並んでいます。

チラシに載っている車種や価格はメーカによって違いますが、
チラシのレイアウト、内容などはどのメーカも同じ。
「ナビ付お得パッケージ」という特典も全く同じ内容。
さらに、少し前に発行されたであろうチラシも全く同じレイアウト。
チラシを毎回作れば、コストもかかるし、
反応率も変わります。
それであれば、実績のあるチラシを使い回した方が合理的です。

ここでは、軽自動車から普通乗用車、輸入車を販売しています。
その中でも売れ筋は軽自動車。
毎月150台ほど売れるそうです。
1年間に1000台以上売れるっていうのはすごい台数ですね。

チラシを見ると、軽自動車のプライスが印象的です。
”99.8万円”、”124.8万円”、”129.8万円”などと5種類ぐらいしかありません。
車の販売は結構複雑で、金額は見積もってみないとわからない。というところがあります。
車種、グレード、装備などで条件が変わります。
一律価格で売っているお店というのはあまり見たことがありません。

おそらく、このお店がたくさん売れるポイントは一律価格にあります。
面倒な見積をやめて、最初から値段と条件を提示し、
あとは、買う側の判断にまかせるという販売方法。

ちょうど、オーダーメードのスーツを作るか、
S、M、Lでサイズ分けされた、既成のスーツを買うか
に似ています。

見積には、車の諸条件を入力し、更に値引きまで入れます。
値引き額は、営業マンによってそれぞれ。
値引き額などの交渉で商談に時間をかけていたら、
とても、毎月150台も売れません。(1日5台以上売らなければならないのです)

だったら、最初からお買い得な値付けをして、
見積書を作る必要がなければ、効率的です。

さらに、これなら誰でも売れます。
熟練の営業マンも、新人の人も
同じ結果が出るなら、コストが安い人を使うのが普通です。

車はほとんどが新古車
未使用の登録済み車。
最近はメーカ間の販売シェア争いのために、新古車が増えています。
新古車の引取先があれば、販売店も登録を増やし、メーカからのリベートを増やします。

新古車は、新車のように、グレードや装備、色を選ぶことはできません。
その代わり安くて、すぐに乗って帰れるというメリットがあります。
どちらを選ぶのかは、購入者次第。
選択肢が増えるのは悪いことではありません。


ちなみに、これと同じ方法を取っている会社は
他の地域にもたくさんあります。
我が家の新聞の折り込みチラシにも毎週土曜日になると、
軽自動車ばかりのチラシが何枚かあります。

この方法は、**総研が広めているといことを聞きました。
地域の有力販売店に、この方式を採用しないか?
と声をかけているようです。

実績があるやり方なので、導入効果は高いと思います。
(その分、**総研に払うものも大きいと思いますが)

参考にすべきは、
「今までセールスマンが見積書を用意しないと売れないと思っていたものでも、
 見積書無しで売れるものがある。
 それは、100万円以上でも可」
ということです。






2016年12月19日月曜日

人気の通りは、あのおじさんが創った。割り箸も羊羹も売る不動産王。

ある県庁所在地のJR駅前。
シャッターを閉めた商店が並んでいます。

しかし、一本通りを隔てると、そこは活気にあふれています。
居酒屋、飲食店、しゃれた喫茶店が並び、その中に魚屋や肉屋、八百屋などが、
新鮮なものを並べています。
その先にはおしゃれな服屋さんもあり、学生や若い人が足を止めていきます。

夜になると、更に人通りは賑やかになり、
飲みに来る人であふれています。
しかし、強引や客引きや、風俗店などもなく
南北約300mぐらいの通りは、安心して歩けます。

この通りの中に雑貨屋さんがあります。
店名に”デパート”と付いているだけあって、なんでも売っています。

入り口には本日の特売品が並び、
店に入ると、冷蔵庫の中には市場で仕入れた野菜
醤油や砂糖などの調味料、
加工食品やお菓子が並んだ奥には、
女性用の肌着が山積みされています。

以前、ここに行ったとき、社長さんから
「あんた、羊羹は好きか?」と言われ、
取り扱いをはじめた羊羹を勧められました。
(ごめんなさい、羊羹一本なんて、とても食べきれません)

その横には、タバコの箱が大量に置かれています。
もちろん、塩もあります(専売公社からの流れでしょう)

3階の倉庫には作業用の手袋が山のように積まれています。
作業靴、作業服などもあります。
作業者向けの油汚れ用石けんの取り扱いは県内一です。

看板には、切手、収入印紙取り扱いと書かれています。
近所には地銀の本店や大手証券会社の支店があり、
そこの人が買いに来るそうです(マジか?)
郵便パストが店先に置いてあり、郵便局から保守費用をいただいているそうです。
(一日一回、雑巾がけをすると言っていました)
建物の2階も他のお店に貸しています。

とにかく、収益になるものはなんでも取り入れています。

ここのもう一つの収益源は、通りのビルの大家になること。
不動産業です。
ビルと言っても新築ではなく、中古。
中古のビルを買ってリフォームし、入居するお店に貸して、
家賃をいただいています。

お店は飲食店が大半。
この通りの人通りが増え、賑わえば、
入居するお店も増え、家賃も上がります。

また、家賃以外にも
割り箸や調味料、野菜などを卸しています。
営業時間前になると、買い出しに来て、必要なものを適当に持って行きます。
支払は、月末払い。
家賃と一緒の請求。

同じものをスーパーで買って、その場で現金で払うよりも資金繰りが楽になります。

買いに来る人を見ていると、若い人たちがほとんど。
どこかのお店で修行して、ここで自分の旗を上げようと、
考えているようです。

この社長さんは大家さんであり、若い人たちの創業を支援しているようにも見えます。
また、通りのプロデューサーでもあります。
ここで、創業したい人はまず最初に、ここに相談しに来るというのもうなずけます。

とはいえ、本人はいたって低姿勢。
買っていただいた方には、”ありがとうございます”を必ず言います。
通りを歩けば、いろいろな人から笑顔であいさつされ、
話しかけられます。

私は、この人は
幸せな人生だなと思っています。

2016年12月18日日曜日

携帯電話ショップは誰がやっている? オーナはこんなところからスタート

25年程前、世の中に自動車電話というのが普及しはじめました。
今の携帯やスマホの元祖です。

当時、電話と言えば家や会社にあるもの。
車で移動中に会話ができる自動車電話は画期的でした。

当時、保証金(NTTに預けるお金で、解約すると戻ってくる)20万円
月額通話料3万円。通話料6秒10円。
バブルで金回りのいいときではありましたが、
使える人は限られていました。
車はたいていクラウン(当時セルシオはなかった)
体格のよくて、短めな髪型の人がほとんどでした。

自動車電話ということで、
当社のような自動車電装店が取付や販売窓口になっていました。

当時はIDO(今のau)か、NTT(しばらくしてドコモに変わる)の2社
どちらかを選んで、販売店になっていました。

うちの会社はIDOをメインに、
NTTも併売するというスタンスでした。

自動車電話から携帯への移り変わりはあっという間で、
3年ほどで、携帯電話に需要がシフト。
売れ筋はすべて携帯になります。

まだ、街には携帯電話ショップもなければ、家電量販店でも売っていません。
需要に対して供給が全く足りない状況。
そうすると、どうなるかというと、
自動車電装店の店先で片手間に売っても、人が押し寄せてきます。
当時、携帯会社から1台に付き3万円ほどのリベートがありました。

もちろん、全国的にも自動車電装店が携帯電話の販売に乗り出しました。
店頭の片手間でやっていたのを、専門店を作り、
ドコモショップ、auショップ、J-phoneショップを運営するようになりました。

デンソーや日立などの自動車電装品の卸売りを行う会社が
ドコモなどの代理店となり、
ショップを運営する電装店に販売や業務を委託するという流通経路。

そのうちに、地域で何店もショップを運営する電装店も出てきました。
県内のショップのほとんどが、
同じ会社が運営という地域も出てきました。

ただ、選んだブランドで、その後の運命が変わります。
ドコモを取った会社は、その後も順調に規模を拡大していきます。
今では、本業の自動車電装店よりも、
携帯電話の販売が主になった会社もあります。

IDOを選んだ会社は
auにブランド変更後、販売店の統合が行われ、
他の販売店に統合されたところもありました。

代理店も
商社系やメーカ系、独立系などで統廃合が進み、
現在は10社程度にしぼられています。

携帯電話販売は、本体の販売よりも
携帯電話会社からのリベートが主な収益源。
リベートを得るためには、お店のお客さんを
増やすことが必要です。
だから、いつも、0円販売をしたくなります。

恵那バッテリーは残念ながら、
この流れに乗ることができず、携帯電話販売はやめちゃいました。

2016年12月17日土曜日

さすが東京。外国人専用ハイヤーなんて想像もしなかった。

5年程前、ドライブレコーダーの導入についてホームページから問い合わせがありました。
東京の会社で、会社名からはなんの会社なのか、
よくわかりません。

ホームページを見ると、ハイヤーの会社らしい。

外から見てわからなければ、中に入って聞くしかありません。
早速、訪問してみることに。

お話をうかがったのは、車両管理の担当者さん、
その後には社長さんも出てきていただきました。

このハイヤー会社は、外国人専用。
乗務員は全員英語を話します。
運転手と案内の両方を兼ねています。

外国人観光客向けに都内や日光、富士山をまわる観光ツアーや、
外国人ビジネスマンを空港や、ホテル、目的地などに送迎します。

車はたくさん人が乗れる,ハイエースやアルファードから
VIP用のレクサスやベンツなどを用意。
それぞれのニーズに対応しています。

私が訪問した際に、新入社員の研修をやっていたので、
同乗させていただきました。
小柄な若い女性は、シートをずいぶん前にして運転していました。
話を聞くと、新卒で入社したとのこと。
大学は広島や四国で、東京には就職で初めて来た。と言っていました。
当然、東京の地理にも全く詳しくなく、帝国劇場と言われてもピンと来ていません。
ナビを頼りに、目的地に着きました。

きっと、彼女たちも今頃は、東京の地理に詳しくなっていると思います。

採用活動を全国的に行っていることも、おどろきました。
偶然ですが、私の自宅近くにあるお寿司屋さんでバイトしていた子も
この会社から内定が出たと言っていました。

英語が話せて(英語以外の外国語も含めて)、
女性が活躍できる職場は、
残念ながら今の日本、特に地方では多くありません。
(はっきり言って、うちの近所には皆無です)

でも、英語や外国語で話すことが好きな人はたくさんいます。
(ジャパネットの高田社長は英語で話すのが大好きだそうです)

車の運転というのは、結構大変な仕事。
ましてや、お客さんを乗せるというのは、
緊張する仕事です。

それでも、英語が話せて、世界中の人と会って、
話すことができるというのは、
楽しいことなのだろうな、
と思いました。

それにしても、東京ならではの仕事だな



2016年12月16日金曜日

ナビ取付のプロ集団。 一匹狼が集団になると強い。

世の中にはいろいろな職人がいます。

私が今まで会ってきたのは、
建設現場の仕事が多かったので、
・電気工事屋さん
・機械の据え付け屋さん(自称鍛屋)
・プログラマー(パソコン系、制御系、組み込み系、最近はWeb系)
自動車屋の場合
・会社専門の修理屋さん
・鈑金屋さん
・ラジエーター屋さん
うちの会社の場合も、電装屋さんと言われています。

会社に属している職人さんもいますが、
手に職を持っている職人さんは独立志向が強い。

最初は親方について、仕事を覚え
一人前になると、独立していきます。

親方の方も、独立を支援します。
社員として雇うよりも同業者として、仕事を融通し合った方が
お互いに利益がある仕組みになっている部分が多いようです。

独立した人は敬意を持って、”一匹狼”と呼んでいます。

自動車業界は、一匹狼が少ない業種です。
勤めていた会社からのれん分けをして独立して創業した人も多いのですが、
(うちの父は、そのパターン)
会社組織にして、社屋を構え、社員を雇うことが多いです。
自動車の点検や修理にはそれなりの設備や機材が必要なのが理由かもしれません。

なので、自動車の関係で一匹狼の人と初めて会ったときはびっくりしました。
その方は、以前勤めていた自動車電装店をやめた後、
その時の取引先から、声をかけられて電装品の修理や取付を行うようになった。
取引先は自動車ディーラーなどの自動車整備工場。

声がかかったら、その場所まで行って、場所を借り作業をするそうです。

エアコンの修理やカーナビの取付などで重宝されていると
お話をしてくれました。

新車に装着するカーナビやETC、バックカメラなどの電装品の取付は
納車前に行われます。
自動車メーカが都道府県単位で用意している架装センターという場所に行くと、
納車前の車がたくさん止まっています。
ここで、注文に応じたカーナビやETCなどの取付を行った後、
販売店に送られます。

電装品の取付は、慢性的な人手不足。
ウデがあれば、仕事には困りません。
標準的なカーナビの取付が、1台あたり1万円前後。
段取りをうまくして,一日5台取付ができれば、1日5万円の収入。
仕事が増えれば毎月70万以上は稼げます。

高い工具も必要ありませんし、
建設現場のように服装や安全装備に気を使う必要もありません。
そもそも、一人仕事がほとんどなので気楽。
仕事としては悪くありません。

そんな業界ですが、
彼らの悩みは、仕事の入り口、
どこから、仕事を受けてくればいいのかわかりません。
そんな時、仕事を段取りよく割り振りしてくれる、
”ボス”がいれば安心して仕事ができます。

5年程前に現場でお会いした人は、
この”ボス”の立場でした。
次から次へと、仕事を受けて、職人さんにまわします。

彼は、請負金額から手数料の費用を差し引いて、
職人さんに作業代を支払っています。

在庫の必要がないビジネスなので、
リスクも低く、安定した取引先があれば
結構稼げます。

職人さん達とは雇用契約はありませんが、
20人以上の職人さんと協力関係にあるそうです。
忘年会は全員を集めて、ずいぶん盛り上がるそうです。
Win-Winの関係ですね。



2016年12月15日木曜日

自家用自動車管理業の仕組み。 いろいろな人材派遣

5年程前、ホームページから問い合わせがありました。

問い合わせ内容は
「当社では1000台の車を運行しています。ドライブレコーダーの導入を検討しています」
意味がよくわからなかったので、
お話を聞きに、東京まで行ってきました。

この会社、説明によると、
自家用自動車管理業の大手。
主な仕事として、企業などに運転手を派遣する仕事。
とのことです。

もう少し話を聞くと、
自家用自動車管理業というのは、警察庁、経済産業省、国土交通省により許可された公益法人。
つまり、3つの省庁が管轄している。
当時、人材派遣業に対して、風当たりが強い時期でしたが、
自家用同社管理業は3つの省庁に守られているから問題ないと説明してくれました。
(実際、その通りでした)

自家用自動車管理業の事業内容は、
車のドライバーを派遣する仕事です。
官僚、会社の社長、役員などが利用する社用車を運転するドライバーを派遣します。
社用車は、会社や省庁の持ち物。
あくまでも、ドライバーだけを派遣するのがこの業態のポイントです。
(車まで持ち込むと、タクシーなどの営業車と領域を分けることができないからだそうです)

私が以前勤めていた会社にも、運転手さんがいました。
運転手さんと会社には雇用契約がなかったので、
この様な会社から派遣されてきたと思います。

要人の運転以外にも、
スクールバス、幼稚園バス、自動車学校の送迎バス、塾やスポーツクラブの送迎バスなどの運転手も派遣。
最近は、こちらの方の需要が多いようです。

受け入れる施設側にとっても、ドライバーの求人を出しても、
応募が少ないこともあり、
専門業者さんに依頼した方が早くて確実という事情もあり、
需要は増えています。

自家用自動車管理業の協会に加盟しているのは、
全国で約50社。
それぞれの会社さんで、得意な地域や分野があります。
一般社団法人日本自動車運行管理協会ホームページ

ちなみに、運転手さんはどういう人が多いですか?
と聞いたところ、
「高齢者が多いです。以前、トラックに乗っていた人もいるし、
 普通に会社で働いていた人もいます」
「幼稚園バスの場合、車を運転するのが朝と夕方。
 実働時間が短いので、そんなにたくさんの給料が払えないのです。
 だから、若くてたくさん稼ぎたい人ではなくて、
 定年後に、年金をもらいながら、ちょっとお小遣いを稼いで
 子どもとふれあえる。という理由の人が多いです」
なるほど、

今後、年金の支給時期が繰り上げられていき、
定年後も稼ぐ必要がある人は増えていきます。
そういった方の受け皿としても、成長が見込まれます。

2016年12月14日水曜日

自己紹介3。恵那バッテリーの儲けの仕組み

岐阜の実家に戻り、家業の恵那バッテリー電装株式会社で働くことになりました。
昭和43年創業。今年で48年です。

恵那バッテリー電装の社名は、
”恵那”は創業の地が岐阜県恵那市(現在の所在地は岐阜県中津川市)
”バッテリー”は自動車用バッテリーの販売
”電装”は自動車の電機関係の会社ですよ
という意味です。

業種は自動車電装業。
自動車のスタータ(エンジンをかけるモータ)、オルタネータ(エンジンの力を使う発電機)、エアコンなどの修理や、部品の販売、バッテリーの販売などを行っています。
他にはカーナビやETCの取付を行っています。

自動車産業にはアフターマーケット市場があります。
自動車の修理や整備、車検から、
タイヤ、自動車オイル、ETCやカーナビなどの自動車用品、
保険や中古車もその中に含まれます。
2012年度の市場規模は日本国内で12兆円と言いますから、
巨大産業です。

自動車電装業は自動車の電気関係の修理や整備、取付を専業に行う業態です。

車の調子が悪いとき、たいていの人は買ったお店に相談に行きます。
トヨタの車であれば、トヨタ*** **店という自動車ディーラーに行くと思います。
自動車ディーラーは、修理の依頼を受けたとき、修理内容を推測します。
足回りやエンジンであれば、自社の整備員が対応するでしょう。
電気系やエアコンであれば、取引のある自動車電装店に修理を依頼します。
自動車の修理、整備業界は市場が広く、分業化が早くから行われていました。
苦手なこと、わからないことで悩むぐらいであれば、専門業者に仕事を出した方がいいという割り切りがあります。
自動車電装店にとっても、ディーラーから仕事が依頼が来るのであれば、自社で顧客を探す必要もありません。
直接顧客の対応を行う必要もなく、手間もコストもかかりません。

実際、恵那バッテリーの顧客は、
・トラック販売ディーラー
・建設機械販売ディーラー
などです。
顧客に対して、電装品の修理サービスを提供していました。

また、あまり知られていませんが、自動車電装業は、
部品メーカによって系列化されています。
・デンソー
・三菱電機
・日立製作所
などなど。
部品メーカは、自動車メーカに部品を納入しています。
納入する条件として、”部品が壊れた場合は速やかに対応する”
です。
対象部品は、スタータ(エンジンをかけるモータ)、オルタネータ(エンジンの力を使う発電機)です。
車の保証期間内に自動車ディーラーなどからこの部品が壊れたという連絡があった場合、”クレーム”という名前の作業で交換作業を行います。
”クレーム”作業の費用は、顧客や自動車ディーラーに請求するのではなく、自動車部品メーカ(実務は、自動車部品メーカの代理店)に請求します。
系列の自動車電装店は、メーカの出先(サービス店と呼ばれる)として、自動車ディーラーと取引関係を作っていきました。

クレーム作業は自動車電装業にとって、名刺のようなものでした。

デンソー系列は、トヨタ、ダイハツディーラー
三菱電機系列は、三菱自動車、マツダなど
日立製作所系列は、日産など
と言うように棲み分けがされていました。

しかし、自動車部品が壊れなくなり、また、自動車部品メーカも壊れない努力を進めたことにより、
この様な、事業モデルは成立しなくなりました。


また、自動車電装業は、自動車ディーラーの”下請け”的な立場で仕事を行っているため、
作業単価が安く抑えられてしまいます。

下請けを脱するためには、顧客を自社で作り出すしかありません。

恵那バッテリーでは、運送会社やバス会社、車を使って仕事をする会社と直接取引を行い、相談を受けたり、提案を行ってきました。

現在は、それが実を結び、ドライブレコーダーなどの事故防止製品の販売が増えています。
また、顧客と直接対話を行うことで、顧客の抱える問題や、解決方法などについて知識と情報を得ることができ、更に、同じ悩みを持つ顧客に提案することができます。

これが、恵那バッテリーの儲けの仕組みです。



2016年12月13日火曜日

自己紹介。今までの経歴2

会社に退職のお願いを出したところ、
以前のエンジニアリング部の部長から連絡がありました。
「やめたら、こっちへ来て手伝え」
なんじゃそりゃ?
会社を辞めたら、フリーの立場になって、エンジニアリング部の一員として働けと言うことです。
当時、エンジニアリング部はなくなっていましたが、課として残っていました。
人員も少なく、かといって他部署からや新卒を配属されることもありません。
人員不足の補い方は、”昔の仲間”。以前、一緒に仕事をした外注さん達を招いて、机を貸し、社員と同じようにして働いてもらっていました。
正式な雇用契約ではなく、業務の請負契約です。
今思い返すと、いい加減な話ですが
当時、結婚したばかり。奥さんも働いていて収入もあったし、
いざとなれば、実家に帰ればいいやと言う思いで
お世話になることにしました。

会社を辞めるときには、いろいろな人から声をかけていただきました。
ありがたいことです。

さて、技術的な進歩がどんどん早くなっていったのはこの頃です。
以前は工場やプラントなどでパソコンはおもちゃ扱いでしたが、すでに不可欠となっていました。
また、海外製のアプリケーションについても学ぶ必要がありました。
名古屋で営業していたときは、名古屋弁が必須でしたが、英語が読めないと話になりません。

この時期、交友関係も広がりました。
パソコン関係の知人ができたことはこの後でずいぶん役に立っています。

仕事はとてもハードでしたが、刺激的な案件にも関わりました。
東京ディズニーシーのアトラクション、マーメイドシアターの舞台装置の設計にも関わりました。
エンターテイメントの仕事なんて初めて。
作っているときは、果たしてこれが世の中の人を楽しませることができるのだろうか?
と心配に思っていましたが、東京ディズニーシーがオープンして、マーメイドシアターを見に行ったとき、ちゃんとエンターテイメントになっていて感動しました。

アメリカ本国のディズニー関係者の方と一緒に仕事をしたのもいい経験でした。

その他にも、大手牛乳工場を新設する仕事にも携わりました。
こちらは、地味な仕事でしたが、他の会社をとりまとめるという仕事。
楽しい仕事でした。

残念ながら、ここでの仕事は2年間で終わり。
部署が廃止となり、メンバーは散り散りに。

私は岐阜の実家に戻ることにしました。


2016年12月12日月曜日

最初に、自己紹介。今までの経歴1

このブログでは、私が今まで会った人、話した人のお仕事を紹介します。
データの基になっているのは、交換した名刺。
社会人生活24年でおそらく2000枚以上はあると思います。

相手に許可を取っているわけではないので、
人の名前や会社名などは実名ではありませんが、
実在しています。

ブログの主旨は、「他の人がやっている仕事が知りたい」です。
普段の私たちの生活は多くの知らない人によって支えられています。
蛇口をひねれば水が出るのも、スーパーに好物の唐揚げが並んでいるのも、
自分は知らない誰かのおかげです。
そんな、”誰か”を紹介していきたいと思います。

私は、初めて会う人には、いつも、「どうして、この人は今ここにいるのだろう?」
と思っていました。
この人がここに来るまでに、どんな学校で、何を学び、何でこの会社を選んだのか、必ず理由があるからです。
だから、仲良くなると、そんな話を根掘り葉掘り聞いていました。
初対面なので、プライベートなところまで話が及ぶことはありませんが、
その人を知れば、仕事も楽しくなります。
このブログでは、そんなことも含めながら、その人が勤める会社はどんな仕事をしていて、
どんなところと取引しているのか、何が利益になるのか、
客観的な視点で書いていきたいと思います。

まずは、最初に自分のことを書きたいと思います。

現在46歳。岐阜県で自動車の修理や整備を行う会社を経営しています.
学校を出て、社会人となって24年が過ぎました。

工業高校、工業大学を経て、電機関係の商社に就職。
最初の配属先は本社東京でした。
岐阜と名古屋ぐらいしか行ったことがない田舎者にとって、東京タワーと東京都港区の灯りはあまりにもまぶしかったことを覚えています。

就職した会社は、”商社”と言っていましたが、売上げの半分以上がM電機の代理店業務。
扱い品は、家電などの民生品ではなく、主に業務用の製品です。
取引先も一流企業ばかりでした。

私の配属先は商社の中でも異質な、エンジニアリング部門。
当時の会社の方針は、製品の単品売りから脱却して、システム販売で付加価値を高め、他社と差別化をするというもの。
そのために、システム設計、機器の選定、設置工事、プログラミングなどすべてを請け負うことを指向していました。

私が担当したのは、巨大な建物の中で荷物搬送を行うシステムの施工。
当時は、バブル期に企画された巨大プロジェクトが次々と施工された頃。
千葉県がんセンター、日本銀行電算センター、大阪大学医学部附属病院、郵政省電算センター、福岡鳥取大学医学部附属病院など。

荷物の搬送はプログラミングロジックコントローラ(商品名シーケンサ)を使って、設備の制御を行います。
巨大な設備だけに、機械もプログラムも膨大。
3ヶ月以上にもわたる試運転期間を経て、納入していました。
私は現場で働く職人さんやプログラマのとりまとめを行い、工程の管理を行っていました。
毎日夜遅くまで現場で働き、土日もなく働く大変な仕事でしたが、
巨大なシステムが納入され、顧客に引き渡されるときは感動したことを覚えています。

このエンジニアリング部門、毎年数人の新人が優先的に配属される部署でした。
それだけ、会社側も期待していたのでしょう。
赤字体質の部署でしたが黙認されていました。
しかし、世の中はデフレまっただ中。
ふくれあがった人員を養っていけるだけの利益を上げることが困難になってきます。

そこで、部署の人員削減が始まり、
私も出身地である、名古屋の中部支店に転勤になりました。
同じタイミングで4人が、他部署に異動になりました。
人員削減はこの後も続き、3年後には部署ごとなくなってしまいました。

名古屋に異動となり、営業部署に配属されました。
今まで、自分が現場で使っていた部品を、今度は販売する立場になりました。
業務のほとんどが、電機メーカの”代理店業務”。
忙しくて、時間単価が高いメーカの営業マンの代わりが、安くて便利な代理店の営業マンです。

当時、販売単価の下落がひどく、競合他社との競争もあれば、同業者との競争もありました。
受注するために、メーカから”安い価格を取る”ことが優先されました。
(当時の仕切り価格はメーカの担当者が自由に決めていました)
販売価格から仕入れ価格を引いた、売買差益ではほとんど利益が出ず、利益はメーカからのリベートに頼ることが常態化しました。
(当時は、メーカが代理店に対して様々リベートで影響を与えていた)
必然的に仕事のやり方は、お客さんよりもメーカが優先。
いつも、メーカの顔色ばかり見ている仕事が面白いわけもありません。
いつしか、部署を変わることができなければ、会社を辞めようと思うようになりました。

とはいえ、営業の仕事から、世の中の仕組みを知ることができました。
与信管理なんて言葉も初めて聞きました。
立場の弱い取引先を相手に、取引金額以上の保証金を積んでほしいとお願いしたこともあります。
飛び込みで営業に行った先から、受注ができたことは、今でも忘れません。

また、パソコンに詳しかったので、
いろいろな人からパソコンについて聞かれたりしました。
それは本社のような大きい場所ではあり得ない経験です。

新規開拓業務も積極的にやっていたので、それなりの営業成績でも会社内では評価されていました。
でも、これ以上ここにいて、費やす時間に価値はあるのだろうか?
と思った瞬間、会社を辞める決意をしました。

周りの人は意外に思ったことでしょう。