2016年12月13日火曜日

自己紹介。今までの経歴2

会社に退職のお願いを出したところ、
以前のエンジニアリング部の部長から連絡がありました。
「やめたら、こっちへ来て手伝え」
なんじゃそりゃ?
会社を辞めたら、フリーの立場になって、エンジニアリング部の一員として働けと言うことです。
当時、エンジニアリング部はなくなっていましたが、課として残っていました。
人員も少なく、かといって他部署からや新卒を配属されることもありません。
人員不足の補い方は、”昔の仲間”。以前、一緒に仕事をした外注さん達を招いて、机を貸し、社員と同じようにして働いてもらっていました。
正式な雇用契約ではなく、業務の請負契約です。
今思い返すと、いい加減な話ですが
当時、結婚したばかり。奥さんも働いていて収入もあったし、
いざとなれば、実家に帰ればいいやと言う思いで
お世話になることにしました。

会社を辞めるときには、いろいろな人から声をかけていただきました。
ありがたいことです。

さて、技術的な進歩がどんどん早くなっていったのはこの頃です。
以前は工場やプラントなどでパソコンはおもちゃ扱いでしたが、すでに不可欠となっていました。
また、海外製のアプリケーションについても学ぶ必要がありました。
名古屋で営業していたときは、名古屋弁が必須でしたが、英語が読めないと話になりません。

この時期、交友関係も広がりました。
パソコン関係の知人ができたことはこの後でずいぶん役に立っています。

仕事はとてもハードでしたが、刺激的な案件にも関わりました。
東京ディズニーシーのアトラクション、マーメイドシアターの舞台装置の設計にも関わりました。
エンターテイメントの仕事なんて初めて。
作っているときは、果たしてこれが世の中の人を楽しませることができるのだろうか?
と心配に思っていましたが、東京ディズニーシーがオープンして、マーメイドシアターを見に行ったとき、ちゃんとエンターテイメントになっていて感動しました。

アメリカ本国のディズニー関係者の方と一緒に仕事をしたのもいい経験でした。

その他にも、大手牛乳工場を新設する仕事にも携わりました。
こちらは、地味な仕事でしたが、他の会社をとりまとめるという仕事。
楽しい仕事でした。

残念ながら、ここでの仕事は2年間で終わり。
部署が廃止となり、メンバーは散り散りに。

私は岐阜の実家に戻ることにしました。


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