2016年12月12日月曜日

最初に、自己紹介。今までの経歴1

このブログでは、私が今まで会った人、話した人のお仕事を紹介します。
データの基になっているのは、交換した名刺。
社会人生活24年でおそらく2000枚以上はあると思います。

相手に許可を取っているわけではないので、
人の名前や会社名などは実名ではありませんが、
実在しています。

ブログの主旨は、「他の人がやっている仕事が知りたい」です。
普段の私たちの生活は多くの知らない人によって支えられています。
蛇口をひねれば水が出るのも、スーパーに好物の唐揚げが並んでいるのも、
自分は知らない誰かのおかげです。
そんな、”誰か”を紹介していきたいと思います。

私は、初めて会う人には、いつも、「どうして、この人は今ここにいるのだろう?」
と思っていました。
この人がここに来るまでに、どんな学校で、何を学び、何でこの会社を選んだのか、必ず理由があるからです。
だから、仲良くなると、そんな話を根掘り葉掘り聞いていました。
初対面なので、プライベートなところまで話が及ぶことはありませんが、
その人を知れば、仕事も楽しくなります。
このブログでは、そんなことも含めながら、その人が勤める会社はどんな仕事をしていて、
どんなところと取引しているのか、何が利益になるのか、
客観的な視点で書いていきたいと思います。

まずは、最初に自分のことを書きたいと思います。

現在46歳。岐阜県で自動車の修理や整備を行う会社を経営しています.
学校を出て、社会人となって24年が過ぎました。

工業高校、工業大学を経て、電機関係の商社に就職。
最初の配属先は本社東京でした。
岐阜と名古屋ぐらいしか行ったことがない田舎者にとって、東京タワーと東京都港区の灯りはあまりにもまぶしかったことを覚えています。

就職した会社は、”商社”と言っていましたが、売上げの半分以上がM電機の代理店業務。
扱い品は、家電などの民生品ではなく、主に業務用の製品です。
取引先も一流企業ばかりでした。

私の配属先は商社の中でも異質な、エンジニアリング部門。
当時の会社の方針は、製品の単品売りから脱却して、システム販売で付加価値を高め、他社と差別化をするというもの。
そのために、システム設計、機器の選定、設置工事、プログラミングなどすべてを請け負うことを指向していました。

私が担当したのは、巨大な建物の中で荷物搬送を行うシステムの施工。
当時は、バブル期に企画された巨大プロジェクトが次々と施工された頃。
千葉県がんセンター、日本銀行電算センター、大阪大学医学部附属病院、郵政省電算センター、福岡鳥取大学医学部附属病院など。

荷物の搬送はプログラミングロジックコントローラ(商品名シーケンサ)を使って、設備の制御を行います。
巨大な設備だけに、機械もプログラムも膨大。
3ヶ月以上にもわたる試運転期間を経て、納入していました。
私は現場で働く職人さんやプログラマのとりまとめを行い、工程の管理を行っていました。
毎日夜遅くまで現場で働き、土日もなく働く大変な仕事でしたが、
巨大なシステムが納入され、顧客に引き渡されるときは感動したことを覚えています。

このエンジニアリング部門、毎年数人の新人が優先的に配属される部署でした。
それだけ、会社側も期待していたのでしょう。
赤字体質の部署でしたが黙認されていました。
しかし、世の中はデフレまっただ中。
ふくれあがった人員を養っていけるだけの利益を上げることが困難になってきます。

そこで、部署の人員削減が始まり、
私も出身地である、名古屋の中部支店に転勤になりました。
同じタイミングで4人が、他部署に異動になりました。
人員削減はこの後も続き、3年後には部署ごとなくなってしまいました。

名古屋に異動となり、営業部署に配属されました。
今まで、自分が現場で使っていた部品を、今度は販売する立場になりました。
業務のほとんどが、電機メーカの”代理店業務”。
忙しくて、時間単価が高いメーカの営業マンの代わりが、安くて便利な代理店の営業マンです。

当時、販売単価の下落がひどく、競合他社との競争もあれば、同業者との競争もありました。
受注するために、メーカから”安い価格を取る”ことが優先されました。
(当時の仕切り価格はメーカの担当者が自由に決めていました)
販売価格から仕入れ価格を引いた、売買差益ではほとんど利益が出ず、利益はメーカからのリベートに頼ることが常態化しました。
(当時は、メーカが代理店に対して様々リベートで影響を与えていた)
必然的に仕事のやり方は、お客さんよりもメーカが優先。
いつも、メーカの顔色ばかり見ている仕事が面白いわけもありません。
いつしか、部署を変わることができなければ、会社を辞めようと思うようになりました。

とはいえ、営業の仕事から、世の中の仕組みを知ることができました。
与信管理なんて言葉も初めて聞きました。
立場の弱い取引先を相手に、取引金額以上の保証金を積んでほしいとお願いしたこともあります。
飛び込みで営業に行った先から、受注ができたことは、今でも忘れません。

また、パソコンに詳しかったので、
いろいろな人からパソコンについて聞かれたりしました。
それは本社のような大きい場所ではあり得ない経験です。

新規開拓業務も積極的にやっていたので、それなりの営業成績でも会社内では評価されていました。
でも、これ以上ここにいて、費やす時間に価値はあるのだろうか?
と思った瞬間、会社を辞める決意をしました。

周りの人は意外に思ったことでしょう。




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